タレントとしての破天荒な活躍が目立つ一方で、彼は本業である「落語」に対しても並々ならぬ執念を抱き続けてきた。六代目笑福亭松鶴への弟子入りから始まり、若手時代は松竹芸能に所属しながらテレビの世界で頭角を現した。
だが、バラエティ番組での大成功とは裏腹に、一時は古典落語の道において「邪道」と目される苦悩も味わっている。それでも彼は上方落語の伝統と魅力を守るべく努力を重ね、後に上方落語協会の幹部を務めるまでに至った。自ら新作落語を創作し、伝統芸能としての向上に尽力した姿勢は、彼のキャリアにおける大きな転換点といえる。