思い切った決断を下す際の慣用句として知られる「清水の舞台から飛び降りる」という言葉ですが、かつてこの場所では文字通り命を懸けて舞台から身を投じる参拝者が後を絶ちませんでした。清水の舞台の歴史を紐解くと、これが単なる自暴自棄の投身自殺ではなく、日本人の精神史に根ざした「捨身行(しゃしんぎょう)」であった事実が浮かび上がります。
本堂の修復記録や寺務日誌を記した江戸時代後期の古文書『清水寺成就院日記』には、文化11年(1814年)から元治元年(1864年)までの約50年間に起きた飛び降りの詳細な記録が克明に残されています。記録された飛び降り件数は234件(延べ235人)に達し、その動機は病気平癒や親の長寿祈願、借金苦の解消など、自らの生死を賭して観音の奇跡にすがる強烈な願掛けでした。「命を捨てて観音様に祈れば、助かれば大願成就、死ねば即座に極楽往生できる」という民間信仰が、人々を断崖へと走らせたのです。
さらに衝撃的なのはその転落後の結末です。舞台の高さは谷底まで約13メートル(現代のビル4階相当)に達しますが、記録された235人のうち死亡者は34人にとどまり、実に201人が生存(生存率85.4%)していました。未成年や若年層の生存率に限れば9割を超えています。当時、舞台の下には鬱蒼とした杉や欅の枝葉が茂り、地面が柔らかな腐葉土の層であったこと、また命を惜しまずに身を投げた姿勢が衝撃を緩和させた要因と考えられます。しかし、明治5年(1872年)に京都府が飛び降り禁止令を発令し、舞台周囲に防護柵が設けられたことで、この過酷な民間習俗は終焉を迎えました。