名画『マラーの死』を初めて鑑賞する人が抱く最大の疑問は、「なぜ一国の最高権力者が風呂の中で仕事をし、そこで刺殺されたのか」という点に集約されます。その背景には、教科書的な英雄譚からは省かれがちな、生々しい肉体的苦悩と執念の政治活動が存在していました。
当時49歳だったジャン=ポール・マラーは、長年にわたり全身を蝕む激しい皮膚病(現代の医学研究では疱疹状皮膚炎や重度の乾癬、脂漏性湿疹などの複合症状と推測されています)に苦しめられていました。皮膚の灼熱感と耐えがたい痒みを鎮める唯一の手段が、硫黄やアーモンドオイルを混ぜた薬湯に長時間浸かることでした。マラーはパリ6区エコール=ド=メドゥシーヌ通り20番地の自宅アパルトマンに引きこもり、銅製の浴槽の上に木板を渡し、そこを書斎机代わりにして革命新聞『人民の友』の原稿や政敵の告発状を執筆していたのです。
1793年夏のフランスは、外征軍の脅威に加え、国内では穏健共和派の「ジロンド派」と急進的な「ジャコバン派(山岳派)」が血で血を洗う権力闘争を繰り広げていました。マラーはその過激な言動で庶民階層(サン・キュロット)から熱狂的な支持を集める一方、反ジャコバン勢力からは「虐殺を扇動する怪物」として蛇蝎のごとく忌み嫌われていました。病によって議会への登院すらままならず、浴室という完全な無防備空間に籠もらざるを得なかった脆弱性こそが、暗殺者につけ入る決定的な隙を与えたのです。