鼻が短くなった翌日から、寺の内外で信じがたい異変が起こります。内供とすれ違う僧侶や従者、近隣の庶民までもが、明らかに彼を見て吹き出し、物陰から指を差して笑い声を漏らすようになったのです。長い鼻をぶら下げていた時期には、面と向かって笑う者などほとんどいませんでした。内供の高潔な身分を憚り、嘲笑はあくまで腹の底に隠されていたのです。ところが、鼻が普通になった途端、周囲の態度は露骨な嘲笑へと一変しました。
なぜ周囲は内供を笑ったのか。その謎を解く決定打として芥川が作中で提示したのが、文学史上に残る名概念である「傍観者の利己主義」です。作中には、人間の身勝手な心理構造を容赦なく抉り出す次のような一節が存在します。
「人の心には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を切り抜けると、今度は何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して言えば、もう一度その人を同じ不幸に陥れてみたくなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようになる」
周囲の人々は、巨大な鼻という拭い去れないハンディキャップを背負った内供を、心のどこかで「自分より惨めな存在」「安全圏から哀れむ対象」として見下し、精神的な優越感を得ていました。しかし、内供が並外れた努力と苦痛を伴う治療によってその不幸を克服したことで、周囲が抱いていた相対的な優位性は一瞬にして崩壊したのです。
人々が覚えた違和感と苛立ちは、「身の程知らずにも欠点を直して一人前になろうとした」という反感へとすり替わり、露骨な嘲笑となって内供へ浴びせられました。不幸な境遇にある他者を慰めながら、いざその相手が自力で這い上がり幸福を掴むと、途端に足を引っ張りたくなる――これこそが芥川の指摘した人間のエゴの正体でした。