落語界の歴史を揺るがす最大の事件となったのが、1983年の落語協会脱退と「落語立川流」の創設です。発端となったのは、当時の落語協会が実施した真打昇進試験でした。談志は自らの弟子たちの実力を確信していたものの、審査基準の曖昧さや年功序列的な協会の体質に強い疑問を抱き、師匠である五代目柳家小さんと正面から対立します。
伝統ある組織を飛び出し、自らを「家元」とする落語立川流を旗揚げした理由は、旧態依然とした制度の打破にありました。談志が打ち出したのは、「真打になるためには古典落語50席の習得、歌舞伎や邦楽など幅広い教養の体得、そして自力で客を呼べる興行力」を求める極めて厳格な実力主義です。
寄席(定席)に出演できなくなるという致命的なリスクを背負いながらも、ホール落語を中心に独自の興行形態を確立。結果としてこの決断が、従来の枠にとらわれない個性的な演者を多数輩出する土壌を生み出すことになりました。