西南戦争後、菊二郎は外務省に入省し、アメリカ留学で培った英語力を活かして外交官としてのキャリアをスタートさせます。米国勤務などを経たのち、日清戦争後の1897年(明治30年)、初代台湾総督・樺山資紀のもとで台湾総督府へと赴任。台北北東部に位置する宜蘭(ぎらん)支庁長、のちに初代宜蘭庁長に就任しました。
当時の宜蘭は、急峻な山々に囲まれ、毎年のように河川が氾濫して田畑や人命を奪う過酷な土地でした。着任した菊二郎は、自ら義足を引きずりながら現地を隈なく調査。総延長数キロメートルにも及ぶ大規模な堤防建設(通称:西郷堤防)を指揮し、宜蘭川の治水事業を成し遂げました。
菊二郎が施した政策は治水にとどまりません。
- 近代教育の整備:現地の子供たちのための学校を新設
- 産業振興と衛生改善:アヘン吸引の撲滅指導と近代医療の普及
- 先住民族との融和:力による制圧ではなく、対話と敬意を重んじた統治
1902年に菊二郎が任期を終えて宜蘭を去る際、現地の住民たちはその徳政に深く感謝し、自発的に資金を出し合って巨大な石碑「西郷庁憲徳政碑」を建立しました。統治下において日本人官僚を讃える碑が地元民の手で建てられるのは極めて異例の事態です。現在も宜蘭の河川敷にはこの徳政碑が大切に保存されており、地元の人々から地域の恩人として敬愛され続けています。