青年将校たちが致命的に見誤っていた最大の計算違い、それこそが二・二六事件 昭和天皇 反応でした。彼らは自らを「皇軍」と信じ、忠義を尽くせば天皇は必ず自分たちの真心を行動で認めてくれると確信していました。しかし、昭和天皇が下した評価は、彼らの妄想を粉々に粉砕する冷徹なものでした。
事件の一報を受けた昭和天皇は、激しい怒りを露わにしました。側近の記録によると、天皇は陸軍首脳陣に対して「朕が股肱の老臣を殺戮するのは、ごとき暴挙は精神の如何を問わず、許すべからざるものなり」と厳しく叱責。陸軍上層部が青年将校の威勢に怯え、「蹶起の動機は諒とすべき」などと曖昧な態度でお茶を濁そうとする姿を見るや、天皇の怒りは沸点に達しました。
「陸軍が躊躇するならば、朕自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かう」
立憲君主として平時は政治への直接介入を極力自制していた昭和天皇が、これほど強硬に統帥権を行使する姿勢を示した例は他にありません。軍の最高統率者である天皇自身から「反乱軍」と断定された瞬間、青年将校たちの信じた「忠義の大義名分」は根底から崩壊しました。29日の投降呼びかけにより、下士官兵たちが次々と武器を置いて部隊を離れ、クーデターは完全な失敗に終わりました。