三代目猿之助と藤間紫の結びつきは、一方で猿之助の実子である香川照之氏にとっては、長年にわたる精神的断絶を意味していました。1歳の時に父・猿之助が家を出て以来、香川氏は母・浜木綿子氏の手ひとつで育てられました。後年、香川氏が父の楽屋を訪ねた際に「今の私とあなたは何の関係もない」「家族ではない」と冷たく突き放されたエピソードは広く知られています。
しかし、世間が想像していた「後妻(紫)による実子の排除」という構図は、事実に反していました。芸能関係者の証言や当時の報道によれば、晩年の紫はむしろ、頑なだった猿之助の心を解きほぐし、香川照之氏との和解を陰ながら強く望んでいたとされています。紫自身も実子と引き離された痛みを誰よりも知っていたからこそ、血を分けた父子が相克したまま終わることを望んでいなかったのです。
2009年3月27日、藤間紫は肝不全のため85歳でこの世を去りました。彼女が遺した遺言書には、紫派藤間流の二代目を猿之助が継ぐこと、そして財産の多くを猿之助に託すことなどが明記されていましたが、何より大きかったのは「猿之助の孤独を埋める存在として、香川家との絆を取り戻す」道筋を残したことでした。
紫の逝去から2年後の2011年、香川照之氏は九代目市川中車を、その長男・政明氏が五代目市川團子を襲名し、歌舞伎の世界へと飛び込みました。猿之助と香川氏が同じ舞台に立ち、抱き合って涙を流した奇跡の雪解けの根底には、病床の紫が遺した無言の後押しと、名跡の未来を託す深い包容力があったことは疑いようのない事実です。