2026年現在の視点からあの1990年代の狂騒を振り返るとき、そこには現代のネット社会における「キャンセル・カルチャー」や「SNSバッシング」の原形を見ることができる。当時はテレビと週刊誌が過激なプライバシー侵害を主導し、国民全体がそれに悪乗りしていた。報道の暴力性に晒され続けた当事者たちのメンタルヘルスなど、誰も顧みなかった時代だ。
羽賀研二の過ちや罪は決して擁護できるものではない。しかし、彼を過剰に追い詰め、エンターテインメントとして消費し尽くした当時のメディア空間のグロテスクさもまた、否定できない事実である。二人の人間が繰り広げたドラマは、メディアが一個人の人生を狂わせ、消費し、捨て去るという冷酷な構造を白日のもとに晒したのだ。