奈良県明日香村の歴史をわかりやすく紐解くと、そこには「日本という国号」や「天皇」という称号が確立された国家黎明期の激動が浮かび上がります。6世紀末から8世紀初頭にかけて、仏教の受容をめぐる物部氏と蘇我氏の対立、大化の改新(乙巳の変)における蘇我入鹿暗殺の舞台となった飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)など、権力闘争と律令国家への転換がこの狭隘な盆地で繰り広げられました。
文化庁および奈良県、明日香村、橿原市、桜井市が一体となって推進する「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の世界文化遺産登録推進事業は、長年の調査研究と国際的基準への適合検証を重ねてきました。イコモス(国際記念物遺跡会議)による現地調査や評価のプロセスにおいて、東アジアの国際交流を通じて独自の都城・土木・絵画技術を開花させた点が高く評価されています。
教科書的な歴史記述では、中央集権化の過程がスムーズに進んだかのように描かれがちです。しかし現地取材を通じて見えてくるのは、大陸からの先進技術をいち早く取り入れた渡来系氏族と在来豪族のせめぎ合い、そして風水や天文学を駆使して宮都を設計した古代人たちの壮大な国家構想です。村内に点在する謎の石造物(酒船石や亀石、猿石)の存在は、単なる政治の場にとどまらず、道教的信仰や水利祭祀が複雑に絡み合っていた当時の精神世界を生々しく物語っています。