トップスター就任からわずか2年あまり、大劇場公演わずか4作。1995年12月、サヨナラ公演となった『ミー・アンド・マイガール』の千秋楽をもって、天海祐希は28歳という若さで宝塚の舞台を去りました。当時、メディアやファンの間では「劇団上層部との対立」「体力的な限界」「大手芸能事務所からの熱烈な引き抜き」といった様々な憶測が飛び交いました。
退団記者会見で本人の口から語られた言葉と、その後の自著やインタビューで明かされた退団の真相は、至極明快かつ彼女らしい潔固たる哲学に基づいたものでした。天海祐希は、「月組トップスターへの就任要請を受けたその瞬間に、任期を2年と心に決め、劇団にも伝えていた」と明かしています。
彼女にとってトップスターとは、長く居座って権勢を振るう地位ではなく、「持てるすべての情熱を注ぎ込み、完全燃焼して次の世代にバトンを渡す場所」でした。前代未聞のスピードで階段を駆け上がったからこそ、己のエネルギーを1日たりとも惜しまず注ぎ込み、余力を残さずに使い切るタイムリミットが「2年」だったのです。退団会見での彼女の表情は晴れやかそのものであり、未練や後悔の陰りは微塵も見受けられませんでした。