「おいはぎ峠(追剥峠)」という地名を聞いて誰もが抱く疑問は、その禍々しい名称がつけられた発端です。郷土史料や各自治体の町史編纂記録を紐解くと、この地名は偶然や後世の創作ではなく、中世から江戸時代にかけて実際に多発した追剥(身ぐるみ剥ぎ)行為に由来していることが確認できます。
当時、街道の難所となっていた峠道は、隣接する藩の境界線(国境)に位置することが多く、治安維持を担当する代官所や町奉行の管轄が曖昧になる「警備の空白地帯」でした。険しい山道で荷物を背負い疲弊した商人や巡礼者を狙い、身を潜めていた山賊や野盗が突如襲撃し、所持金のみならず衣服や草鞋に至るまで奪い去ったことから、「追剥峠」の名が定着していったと記録されています。
当時の道中日記や奉行所の記録にも、「この峠を越える際は一隊を組み、昼間のうちに駆け抜けるべし」といった注意喚起が残されており、旅人たちにとって文字通り命懸けの難所であったことが窺えます。