尾崎行雄は国政だけでなく、1903年から約9年間にわたって東京市長を務め、都市インフラの近代化にも多大な功績を残しました。なかでも世界的に知られているのが、米国ワシントンD.C.のポトマック河畔に咲き誇る「桜の寄贈」です。
日露戦争終結の仲介を務めたアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトへの感謝と、日米親善を願うアメリカの紀行作家エリザ・シドモアや植物学者デビッド・フェアチャイルドらの熱意を受け、尾崎市長は1909年に桜の苗木を贈ることを決定しました。
しかし、この計画には知られざる挫折がありました。第1回として海を渡った約2,000本の苗木は、到着後の検疫で深刻な害虫被害が発覚し、全米の農業への影響を防ぐため、やむなく現地で焼却処分されるという悲劇に見舞われたのです。
尾崎は落胆することなく、直ちにリベンジを誓いました。名産地である兵庫県や荒川堤の原木から厳選した穂木を接ぎ木し、徹底した病害虫管理のもとで苗木を育成。1912年、改めてソメイヨシノなど12種類・3,020本の桜の苗木をワシントンへ無事に届けました。タフト大統領夫人らの手によって植樹された桜は今もポトマック河畔を彩り、毎年春の「全米桜祭り」として日米友好の揺るぎない象徴となっています。その返礼としてアメリカから日本へ贈られたのが「ハナミズキ」の苗木でした。