九州説を後押しする物証は、文献の解釈にとどまりません。佐賀県神埼郡に位置する国指定特別史跡・吉野ヶ里遺跡では、近年も大規模な発掘調査が進展し、吉野ヶ里遺跡 邪馬台国 最新ニュースとしてメディアの注目を集めました。
特に話題を呼んだのが、これまで未発掘だった日吉神社跡地を含む「謎のエリア」から発見された弥生時代後期の石棺墓です。赤色顔料が塗布された石蓋や周辺の厳重な遺構配置は、極めて身分の高い有力者の存在を裏付けています。吉野ヶ里遺跡全体が周囲を三重の環濠で囲まれた強固な軍事防御都市であり、物見やぐらや巨大な主祭殿、青銅器の鋳造工房を備えていた事実は、魏志倭人伝が描く「宮室、楼観、城柵を厳しく設けていた」女王国の景観そのものです。
さらに、女王卑弥呼の権威と墓の所在を探る上で外せないのが、福岡県糸島市にある平原遺跡(ひらばるいせき)1号墓の存在です。この方形周溝墓からは、直径46.5センチメートルという日本最大級の青銅鏡「超大型内行花文鏡」が5面も出土しました。この鏡は伊勢神宮の御神体である八咫鏡と同型・同大とされ、出土した装飾品や副葬品の豪華さから、被葬者は女性の宗教的首長、すなわち卑弥呼本人あるいはその先代の有力女王ではないかと議論されています。
「卑弥呼 墓 九州 どこにあるのか」という問いに対し、考古学関係者の間では、平原遺跡のように王権の象徴を一身に集めた首長墓や、吉野ヶ里周辺の墳丘墓群が最有力候補として挙げられます。出土した鉄器の数や青銅鏡の集中度は、3世紀当時の北部九州が東アジア屈指の高度な軍事・生産テクノロジーを掌握していた事実を雄弁に物語っています。