数百年にわたり存続した凌遅刑は、1905年4月(光緒31年3月)に正式に廃止されました。この歴史的決断を下した背景には、清末の法制改革者・沈家本(しんかほん)らの強い建白がありました。
当時、清朝は欧米列強との不平等条約(領事裁判権・治外法権)の撤廃を悲願としていました。列強側は「中国の刑罰体系は残虐かつ前近代的手続きであり、自国民を中国の裁判にかけることはできない」と拒絶していたため、国際標準の近代法典を整備することが主権回復の絶対条件だったのです。
沈家本は上奏文の中で、「凌遅、梟首(獄門)、戮屍(死体損壊)などの残酷な刑罰は仁政に反し、国際社会の信を失う元凶である」と主張。西太后の認可を得て、即座に凌遅刑の全廃と斬首・絞首への一本化が実現しました。
国家が法の名のもとに個人の身体をどこまで損壊・統制してよいのかという問いは、決して過去の遺物ではありません。凌遅刑の歴史は、「見せしめ」や「応報感情」を極限まで先鋭化させた国家権力がどれほど非人道的な領域に達するかを示す重い教訓です。近代刑法が「残虐な刑罰の禁止」と「人間の尊厳」を原則に据えた背景には、こうした血塗られた反省が存在しているのです。