SNSや掲示板などで定期的に拡散されるのが、「教育勅語を読んだが、親孝行や友達を大切にしろという当たり前の良いことしか書いていない。なぜ軍国主義と批判されるのか理解できない」という言説です。
この議論の致命的な盲点は、道徳の各論(中身)と、それを担保させている国家統治の構造を混同している点にあります。
教育勅語の真の企図は、「徳目を守ること」そのものではなく、「天皇が命じたから守る」という主従関係の定着にありました。君臣関係を親子関係の延長として擬制する「家族国家観」を基礎とし、親孝行であることと天皇に命を捧げることを同義に結びつけたのです。
現代の倫理教育であれば「なぜ親を大切にするのか」「なぜ法律を守るのか」を個人の理性や社会契約の観点から自律的に考えさせます。しかし教育勅語の論理では、天皇の勅語であるがゆえに無条件の服従が求められ、批判的な思考そのものが「不敬」として封殺されました。
「良いことが書いてあるから復活させてもいいではないか」という主張は、文章の美辞麗句だけに目を奪われ、それがどのような権力行使や国民動員と不可分に結びついていたかという歴史の構造的教訓を見落としています。