「大鵬の故郷はどこか」という問いに対して、公定の記録と人々の記憶でわずかに相違が存在する。彼が産声を上げたのは、1940年5月29日のこと。当時、日本の統治下にあった樺太敷香町がその出生地だ。父はウクライナ人のマルキアン・ボリシコ、母は日本人の納谷キヨ。しかし、第2次世界大戦末期の1945年8月、ソ連軍の樺太侵攻によって平穏な生活は一変する。
着の身着のまま樺太を脱出し、船で北海道へ渡った母子。極寒の地、北海道川上郡弟子屈町での生活は貧困の極みだった。極寒の冬、極小の借家での暮らし。少年時代の大鵬は、家計を助けるために行商の手伝いや納豆売りをこなし、重い荷物を背負って雪道を歩き続けた。のちに大相撲の土俵で見せた圧倒的な下半身の粘り、どっしりとした腰の低さは、まさにこの弟子屈の豊かな自然と厳しくも温かい風土、そして過酷な少年時代の中で育まれたものだった。