昭和最大のスター同士による結婚劇として世間を熱狂させた神田正輝との結婚生活。その終焉は、日本中に大きな衝撃を与えました。松田聖子と神田正輝の破局の真相には、表面的なスキャンダル報道だけでは測れない、根深いすれ違いが存在していました。
当時、ワイドショーや女性セブンなどの週刊誌は、松田聖子の全米進出に伴うスキャンダル(外国人男性ジェフ・ニコルス氏による暴露本騒動やバックダンサーとの裁判問題など)を離婚の主因として大々的に報じました。しかし、1997年1月の離婚発表時に神田正輝と共に行った共同記者会見、ならびに後年のインタビューを精査すると、「決定的な理由は互いの人生の進路と生活環境の完全な不一致」であったことが浮き彫りになります。
神田正輝は日本に腰を据え、石原プロモーションの屋台骨として手堅い俳優活動と穏やかな家庭生活を望んでいました。対照的に松田聖子は、長女・沙也加さんの出産後も現状に安住せず、単身渡米して「SEIKO」として世界市場へ挑戦する飽くなきプロ意識を燃やし続けていました。1年の大半をアメリカで過ごす聖子と、東京で留守を守る神田。物理的な距離はやがて夫婦間のコミュニケーションのズレを決定的なものへと変えていきました。
会見で神田正輝が語った「お互いにこれ以上傷つけ合わないための選択」、そして松田聖子が自著で明かした「夫への感謝を持ちながらも、自分の生き方を曲げられなかった」という告白は、愛憎の果ての破綻ではなく、「二つの巨大な個性が同じ屋根の下で共存し続けることの限界」を物語っています。