装束体験イベントの参加者から現代でも最も多く寄せられる疑問が、「あんなに重く布が何重にも重なっている状態で、どうやって用を足していたのか」という十二単のトイレ事情と生活実態です。
結論から述べると、当時の貴族女性が用を足す行為は、単独で行うことが不可能な「一大事業」でした。寝殿の奥深く、御簾や几帳で幾重にも隔てられた場所に設置されていたのは「樋箱(ひばこ)」と呼ばれる漆塗りの木製オマルです。底には香木やおがくず、灰が敷き詰められ、排泄物の臭気が漏れないよう徹底的な消臭処置が施されていました。
排泄の際、身分の高い貴族女性は自らの手で幾重もの衣を持ち上げることはありません。複数の専属女房(侍女)が左右に控え、裾や裳、幾重にも重なる五衣の端を汚さぬよう慎重に巻き上げ、固定する介助を行っていました。この作業自体が極めて秘匿性の高い儀式であり、信頼できる近臣の女房しか立ち入ることを許されませんでした。
また、着脱には専門の「衣紋者(えもんじゃ)」による技術を要し、一度着装を完了すると簡単に脱ぎ着することはできません。そのため、宮中の重要な節会や儀式の前には飲食を極限まで控え、水分摂取を厳しくコントロールして生理現象を抑え込むことが、高位の女性に求められる必須の教養であり自己管理術だったのです。
『枕草子』でも、清少納言が長時間の儀式で装束に締め付けられ、息苦しさに耐えながら貴公子の前に端坐し続ける女房たちの苦労をユーモラスに描写しています。雅やかな笑顔の裏には、現代人の想像を超える過酷な肉体的我慢が存在していました。