国分太一のキャリアは、決して平坦なものではなかった。1980年代後半、光GENJIのバックダンサーグループ「平家派」のメンバーとして活動を開始した彼は、後にV6となる坂本昌行や長野博らと共に汗を流していた。当時のジャニーズJr.黄金期前夜において、デビューへの切符を掴むのは容易なことではなかった。
1990年にTOKIOの結成メンバーとなり、キーボードを担当することになった国分。まだあどけなさが残る10代後半の彼は、どこか反抗的で、同時に強い野心を秘めた瞳をしていた。現在の温和な司会者のイメージからは想像もつかないような、尖った若者のリアルがそこにはあったのだ。