『遠き山に日は落ちて』の源流をたどると、チェコの国民的作曲家アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』の第2楽章(ラルゴ)に行き着きます。この楽章の冒頭でイングリッシュホルン(コーラングレ)が奏でる哀調を帯びた旋律は、クラシック音楽史上でも屈指の名旋律として知られています。
ドヴォルザーク自身がアメリカ滞在中に耳にした黒人霊歌や先住民族の音楽からインスピレーションを受け、自身の故郷ボヘミアへの尽きない望郷の念を重ね合わせて紡ぎ出されたこの旋律は、後世の音楽家たちに多大なインスピレーションを与えました。その最初の決定打となったのが、ドヴォルザークの愛弟子であったウィリアム・アームズ・フィッシャー(William Arms Fisher)による歌曲化です。
フィッシャーは1922年、恩師の旋律に自ら英語の詞を乗せ、歌曲『Goin' Home(家路)』として発表しました。霊歌の精神を受け継ぎ「家路に着くこと=現世の苦難を終えて魂が天上の安息へ還ること」を歌ったこの楽曲は、瞬く間に世界的な広がりを見せることになります。
日本においてこのメロディに決定的な息吹を吹き込んだのが、日本の音楽評論家・訳詞のパイオニアである堀内敬三でした。昭和初期、ラジオ放送や音楽教科書の普及に尽力していた堀内は、フィッシャーの宗教的色彩を帯びた詩をそのまま直訳するのではなく、日本の美しい山河と夕暮れの情景、そして温かな家庭の情愛を重ね合わせた独自の日本語詞を創り上げました。
「遠き山に 日は落ちて 星の瞳 ほのひかる…」から始まるこの詩は、原曲の持つノスタルジーを完璧な日本語の韻律へと昇華させ、1940年代以降の教育現場や国民的愛唱歌として不動の地位を確立しました。また同時期から戦後にかけては、詩人・フランス文学者の野上彰による訳詞版『家路』(「家路を急ぐ 夕暮れに…」)も発表され、両者は日本の音楽界における二大名訳として長く歌い継がれることになります。