赤西仁の脱退は何年?2010年電撃離脱の真相と現在の活動・年収の全貌

赤西仁の脱退は何年?2010年電撃離脱の真相と現在の活動・年収の全貌

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結論から整理すると、赤西仁がKAT-TUNから離脱したのは2010年です。時系列として重要なのは、「グループからの脱退」と「ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)からの退所」が同時ではなかったという事実です。多くの読者が混同しやすいこの2つの出来事には、約3年半のタイムラグが存在します。

電撃離脱の号砲が鳴ったのは、2010年7月16日のことでした。当時KAT-TUNが開催していた東京ドーム公演の直前、当時の事務所社長であったジャニー喜多川氏が報道陣に対し、「赤西はグループを離脱し、今後はソロ活動に専念する方針である」と電撃的に明かしました。この時点で赤西はロサンゼルスでのソロ公演を成功させており、KAT-TUNの国内ツアーには参加していませんでした。

その後、2010年秋(10月末から11月にかけて)に公式携帯サイトなどで正式な脱退がアナウンスされ、KAT-TUNは6人体制から5人体制へと移行しました。当時の赤西仁公式脱退コメント全文には、次のような言葉が記されていました。

「この度、ソロ活動をさせていただくことになりました。グループを離れることになり、メンバーやファンのみんなには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ、自分のやりたい音楽、アメリカでの挑戦など、方向性の違いを受け入れて背中を押してくれたメンバーには心から感謝しています。決して嫌いで離れるわけではありません」

このメッセージからも明らかなように、赤西の離脱は突発的な事件というより、2006年の活動休止・海外留学以降、水面下で進んでいた「表現者としての個人化」が臨界点に達した必然的な帰結でした。そしてグループを抜けた赤西は、ソロアーティストとして事務所に残った後、2014年2月28日の契約満了をもって、16年間在籍したジャニーズ事務所から完全に独立しました。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。