日枝氏の権力掌握の過程で、メディア史最大のミステリーにして転換点となったのが、フジサンケイグループ創業者一族である鹿内家との関係です。グループの基礎を築いた鹿内信隆氏、その急逝した長男・鹿内春雄氏の時代まで、フジテレビは典型的な同族経営のもとにありました。
1988年に春雄氏が42歳の若さで急逝すると、信隆氏は娘婿である元日本興業銀行員の鹿内宏明氏を後継者(グループ議長)に指名しました。しかし、銀行出身で理路整然とした管理統制を重んじる宏明氏と、どんぶり勘定ながらクリエイティブの熱気で勝負してきた日枝氏ら生え抜き幹部との間には、修復不可能な溝が生じていきます。宏明氏は現場主導の制作体制を締め付け、人事にまで介入を強めたため、社内の不満は限界に達していました。
そして1992年7月、メディア界を揺るがす「電撃クーデター」が勃発します。産経新聞社の取締役会において、日枝氏や創業家出身でありながら宏明氏と対立していた重鎮らが結託し、宏明氏の代表取締役会長解職動議を突如提出・可決。続くフジテレビの取締役会でも宏明氏を追い落とし、鹿内家による同族支配を完全に終わらせました。
当時の特番インタビューや関係者の手記によれば、日枝氏は「創業者一族の私物化から現場の自由とフジテレビを守るための苦渋の決断だった」と述懐しています。しかし、このクーデターによって「同族支配の打倒者」として英雄視された日枝氏自身が、皮肉にもその後の四半世紀にわたり「日枝天皇」と呼ばれる絶対的なワンマン支配へと傾倒していくことになります。