世界遺産登録の経緯を振り返ると、そこには関係者たちの苦渋の決断とドラマチックな戦略転換がありました。当初、長崎県と関係自治体は2007年に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として暫定リストに登録し、長崎県内に点在する美しい西洋風教会建築を中心としたストーリーで推薦を進めていました。
しかし、ユネスコの諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡会議)から突きつけられたのは、「ヨーロッパに数多ある壮麗な大聖堂と比較したとき、これらの教会堂に世界的な普遍的価値(OUV)が本当にあるのか」という極めて厳しい問いかけでした。明治以降に建てられた教会建築単体では、世界的な建築史の文脈において差別化が難しかったのです。
この危機的状況を受け、専門家チームは推薦書を根本から再構築しました。建築そのものではなく、「宣教師が不在の中で、日本の伝統的宗教や地域社会と共生しながら密かに信仰を継続した、約250年間に及ぶ類まれな文化的伝統の証拠」へと主眼をシフトさせたのです。これによって適用基準も、建築技術を評価する基準(iv)から、現存するか消滅した文化的伝統を証明する基準(iii)へと変更されました。
自らの信仰を隠すために既存の集落景観に同化し、神社の鳥居をくぐりながら心の中でデウスに祈りを捧げた信徒たち。世界遺産委員会は、この痛切で強靭な「人間の精神活動と文化的景観の結合」を人類共通の宝として認めたのです。