2012年12月5日午前2時33分、歌舞伎界のみならず日本の演劇界全体に激震が走りました。十八代目中村勘三郎、本名・波野哲明(なみののりあき)さんが東京都文京区の日本医科大学付属病院で息を引き取った報せは、早朝の速報テロップとして列島を駆け巡りました。享年57。当時の歌舞伎界を牽引し、まさに円熟期を迎えようとしていた名優の急逝は、多くのファンに「なぜこれほど早く」「がんは治ったのではなかったのか」という深い悲痛と疑問を残しました。
医療関係者の証言や当時の公式記者会見によると、異変が表面化したのは2012年5月末のことでした。定期検診で早期の食道がんが発見され、同年6月18日に公表。発見時のステージは比較的初期段階であり、勘三郎さん本人も「必ず治して復帰する」と強い復帰への執念を語っていました。同年7月27日、がん研有明病院にて約12時間に及ぶ大手術が敢行されます。食道を切除し、胃を引き上げて再建する大侵襲手術でしたが、腫瘍そのものの摘出は無事に成功していました。
しかし、過酷な試練は術後に訪れます。大手術による免疫力低下と全身への負荷から肺胞に炎症が広がり、誤嚥性肺炎を併発。さらに肺全体の毛細血管から水分が滲み出て肺胞が満水状態となる急性呼吸促迫症候群(ARDS)へと移行しました。人工呼吸器の装着、さらには体外式膜型人工肺(ECMO=エクモ)を用いた集中治療が約4ヶ月にわたり続けられました。妻の好江さん、長男の勘九郎さん、次男の七之助さんが片時も離れず病室で呼びかけ続けましたが、懸命な医療チームの処置も及ばず、肺の機能が回復することはありませんでした。死因は「がんでの衰弱死」ではなく、大手術後の合併症として発症した「ARDSによる呼吸不全」というのが客観的な医学的事実です。