一方で、近年のネット言説や過度に対立を煽る情報空間では、一次史料を無視した極端な俗説も散見されます。歴史の真実に肉薄するためには、流布している誤謬を客観的な事実によって解体しなければなりません。
第一の誤解は、「朝鮮人は創氏改名によって先祖伝来の名前を法的に完全に抹消された」という言説です。前述の通り、戸籍制度の技術的運用において、総督府は「氏」という新概念を家族単位で導入したものの、血統を示す「姓」と「本貫」を台帳の記載事項として厳重に残していました。これは宗族秩序の完全崩壊による民衆の激しい暴動を恐れた総督府側の妥協の産物でもありました。先祖を祀る祭祀(チェサ)や同姓同本不婚の伝統は、法的には制度の裏で辛うじて維持されていたのです。
第二の誤解は、「当時のすべての朝鮮人が被害者であり、創氏に一切の自発性がなかった」という単純化です。親日派知識人や実業家、あるいは日本本土へ出稼ぎに出ていた労働者層の一部には、日本社会における苛烈な民族差別や就職難を回避し、自ら生き残るための「プラグマティズム(実利的な適応)」として進んで届出を行った人々が一定数存在しました。差別構造を内在化した社会において、同化を受け入れることで社会的上昇や子どもの進学を図ろうとした生活者の苦渋の選択は、単純な善悪二元論では裁ききれない歴史の陰影を示しています。
第三の誤解は、「終戦によって自然消滅した」という認識です。創氏改名によって改変された姓名秩序は自然に消えたのではなく、1945年の敗戦後、連合軍軍政庁が発令した1946年10月23日付け軍政庁法令第122号「朝鮮姓名復旧令」によって、法的遡及適用によりすべて無効化されました。これによって日本風の氏は戸籍から一括して抹消され、人々は伝統的な姓と名を取り戻したのです。