1945年、敗戦。日本が占領下に置かれると、戦争協力の責任を巡って美術界は激しく紛糾した。驚くべきことに、戦時中に進んで軍部に協力していた画家の多くが保身のために矛先を藤田に向けた。「藤田こそが戦犯画家だ」という苛烈な批判が巻き起こり、彼はすべての責任を覆い被される形となった。
「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」――失意の底に突き落とされた藤田は1949年に日本を去り、二度と祖国の土を踏むことはなかった。フランスへ戻った彼は受洗して「レオナール・フジタ」となり、カトリックの信仰の中に救いを求めた。『アッツ島玉砕』をはじめとする作戦記録画群はGHQによって押収され、後に「無期限貸与」という形で東京国立近代美術館に収蔵されることとなる。