志村さんのキャリアは、決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。東京都立久留米高校の卒業間際であった1968年、いかりや長介さんの自宅へ押しかけて直談判し、雪の降る中で何時間も待ち続けて付き人採用を勝ち取ったエピソードは有名です。
下積み時代にはお笑いコンビ「マックボンボン」を結成して一度は芸能界デビューを果たしたものの、思うような成果を出せず解散。再びドリフの付き人に戻るという挫折を経験しています。転機が訪れたのは1974年4月、体調不良や方向性の違いから荒井注さんが脱退した際、24歳の志村さんが正規メンバーに大抜擢されたことでした。
加入当初は「新入り」として客席から冷たい視線を浴びる苦しい時期が続きましたが、1976年にTBS系『8時だョ!全員集合』の少年少女合唱隊コーナーで披露した「東村山音頭」が空前の大ヒット。一気に全国区の人気を獲得します。以降、加藤茶さんとの「ヒゲダンス」、ピンク・レディーの替え歌「カラスの勝手でしょ」など、子どもたちが翌日の学校で真似したくなるギャグを連発しました。
ドリフのレギュラー放送終了後も、その勢いは衰えませんでした。
- 『志村けんのバカ殿様』:白塗りメイクと豪快な扇子使いで、老若男女に愛される長寿キャラクターを確立。
- 『志村けんのだいじょうぶだぁ』:「変なおじさん」「ひとみ婆さん」など、日常の観察から生まれたリアリズムと狂気が同居する至高のキャラクターを多数創出。
- 『天才!志村どうぶつ園』:2004年からMCを務め、チンパンジーのパンくんをはじめとする動物たちと心を通わせる優しい素顔を見せ、新たなファン層を開拓。
若い頃から晩年に至るまで、志村さんは「笑いに対して一切の妥協を許さない演出家」としての顔を持ち続けていました。舞台『志村魂』では自ら三味線を猛特訓して披露するなど、芸の深みを追求し続けた姿勢は、後進の芸人たちに大きな影響を与えています。