二人の運命的な出会いは、学生運動が日本中で激しさを増していた1968年にまで遡ります。東京大学文学部を卒業し、すでにプロ歌手として高い評価を得ていた加藤登紀子さんのもとに、当時「全日本学生自治会総連合(全学連)」の社学同(社会主義学生同盟)系委員長として名を馳せていた藤本敏夫氏が接触を図ったことがきっかけでした。
コンサートの出演依頼や社会運動の現場を通じて言葉を交わすうち、二人は急速に惹かれ合っていきます。加藤登紀子さんは当時の手記や回顧録の中で、藤本氏の放つ強烈なカリスマ性と純粋な情熱、そして時折見せる素朴な優しさに強く心を揺さぶられたと明かしています。
しかし激動の時代は二人を平穏な日常には留めませんでした。1968年から1969年にかけての街頭闘争や防衛庁襲撃事件、東大安田講堂事件などに絡み、藤本氏は公務執行妨害や凶器準備集合罪などの容疑で逮捕・起訴されます。1972年、最高裁判所で実刑判決が確定し、懲役3年8ヶ月の実刑に服するため中野刑務所へ収監されることとなりました。