惨劇の舞台となったのは、竹ノ塚駅南側に位置していた「伊勢崎線第37号踏切」でした。幅員約18メートルの道路を横断するこの踏切は、複々線の本線4本に加え、竹ノ塚検車区(現・東京メトロ千住検車区竹ノ塚分室)へと通じる入出区線2本が並ぶ、計6本もの線路をまたぐ巨大な踏切でした。
2005年3月15日午後4時50分頃、夕方の通勤・通学ラッシュが始まろうとしていた時間帯に事件は発生します。下り急行線を走行してきた浅草発太田行きの下り準急列車(10両編成、時速約90km)が、踏切内に立ち入っていた歩行者の列に直入。横断中だった歩行者4名が次々にはねられ、2名の女性(58歳と47歳)が尊い命を落とし、2名が重傷を負うという凄惨極まる事態となりました。
現場を目撃した近隣住民や通行人の証言によると、衝突の瞬間は激しい金属音と悲鳴が交錯し、現場一帯は一瞬にしてパニックに陥ったといいます。事故直後、メディア各社は速報を打ち、日本中に大きな衝撃が走りました。
なぜ、電車が猛スピードで進入してくる踏切内に歩行者が立ち入っていたのか。事故原因の核心は、長年現場で運用されていた「手動式踏切」の操作ミスにありました。当時、この第37号踏切は自動遮断機ではなく、専門の保安員(踏切警手)が目視と警報ランプの表示を確認しながらレバーを操作する手動制御が採用されていたのです。
警察の捜査および公判記録によると、当時操作室にいた保安員(当時53歳)は、上り普通列車が通過した直後、接近を知らせる警報器が鳴り響いていたにもかかわらず、「準急列車はまだ遠くの西新井駅付近にいるはずだ」と勝手に思い込み、遮断機を手動で約1.2メートルまで引き上げました。遮断機が上がったことで、安全に渡れると信じ込んだ歩行者10名ほどが一斉に足を踏み入れた瞬間、死角から時速90kmの準急列車が進入してきたのです。