世間が抱く「華やかなスター親子」というイメージとは裏腹に、二人の日常は極めて濃密で、時に過酷なものでした。宇多田ヒカルは音楽プロデューサーである父・宇多田照實氏と母・藤圭子の間に生まれ、幼少期から東京とニューヨークを行き来する生活を送りました。両親は生涯で7回もの離婚と再婚を繰り返したと公表されており、家庭内は常に感情の激しい乱高下にさらされていたといいます。
宇多田ヒカル自身、のちの手記やテレビインタビューで幼少期の母とのエピソードを率直に明かしています。母親としての藤圭子は、途方もなく無邪気で愛情深い一面を持つと同時に、突然予測不能な怒りや不安の波に呑み込まれる人でした。「母は非常に衝動的で、感情のコントロールが難しい病を抱えていた」と娘が振り返っている通り、夜中に突然スーツケースに荷物を詰め込んで家を出て行ったり、家族全員を巻き込んで激しい口論が起きることは日常茶飯事でした。
しかし、宇多田ヒカルが音楽家としての基礎を築けた最大の要因もまた、母の圧倒的な音楽的直感でした。藤圭子は幼いヒカルに対し、技術的な指導ではなく「心の奥底から湧き出る感情をそのまま音に乗せること」を教え込みました。スタジオで歌う母の背中を見つめ、母の歌声の凄みに圧倒されながら育ったヒカルにとって、母は恐怖の対象であると同時に、世界で最も敬愛する絶対的なアーティストだったのです。愛憎という言葉では括りきれない、魂の結合とも呼ぶべき絆がそこにはありました。