『千と千尋の神隠し』を手掛けた宮崎駿監督は、特定のひとつの場所だけを完結したモデルとしたわけではないことを明かしている。江戸東京たてもの園に展示されている歴史的建造物や、道後温泉本館、台湾の九份など、幾多の魅力的なロケーションからイメージを抽出し、あの唯一無二のファンタジーアニメの世界観を構築した。しかし、長野県下高井郡山ノ内町に位置する渋温泉の「歴史の宿 金具屋」を前にしたとき、誰もが息をのむ。そこには「油屋」そのものを想起させる圧巻の建築美が存在するからだ。
昭和初期に建てられた「斉月楼」は、木造四階建てという極めて珍しい構造を持つ。釘を極力使わずに組み上げられた数寄屋造りの繊細な意匠、夜になると柔らかい灯りに照らし出される木枠の窓や複雑に交差する屋根のラインは、まるで湯婆婆が仕切る湯屋が現世に立ち現れたかのような錯覚を抱かせる。宮崎駿監督がスケッチ旅行の途上で訪れ、インスピレーションを得たという地元の語り継がれも、ファンのロマンをいっそう掻き立てている。