息子たちが日本の名門私立校(青山学院初等部など)に通っていたとされる中で、なぜあえて十代前半という多感な時期にアメリカ・ボストンへの留学を決断したのか。そこには、高嶋ちさ子さんならではの深い親心と合理的な教育哲学が存在します。
最大の理由は、「高嶋ちさ子の息子」というレッテルからの解放です。日本国内にいれば、母親が有名芸能人であることによる周囲の特別視や過剰な詮索から逃れることは容易ではありません。甘えが許されない完全な実力主義の環境に身を置くことで、一人の自立した人間としてアイデンティティを確立させたいという強い願いがありました。
また、留学先として選ばれたアメリカ・ボストンは、ハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)をはじめとする世界屈指の学術機関が集結し、ボストン交響楽団や名門音楽院を擁する全米有数の文教都市です。知性と芸術が最高峰のレベルで融合するこの環境は、学問を志す長男にとっても、音楽の道を極めようとする次男にとっても、これ以上ない理想的な育成拠点でした。
さらに、全寮制(ボーディングスクール)での生活は、身の回りの管理から対人関係の構築、異文化適応に至るまで、すべてを自分の力で解決するタフネスを養います。母親の過干渉を防ぎ、物理的な距離を置くことで精神的な自立を促すという、極めて計算された教育戦略でした。