この気の遠くなるような長大な名称は、一体だれがどのような目的で定めたのだろうか。歴史を遡ると、1782年にチャクリー王朝を開いたラーマ1世にたどり着く。
前王朝の首都トンブリーからチャオプラヤー川の東岸へ首都を移転した際、ラーマ1世は新しい王朝の永遠の繁栄と平和を祈願してこの名を命名した。その後、第4代国王ラーマ4世によって一部の修飾語が改訂され、現在の168文字の形に完成した経緯がある。
テレビの歴史ドキュメンタリー・地理雑学コンテンツなどでもよく解説されるが、当時の東南アジアにおいて、都市の名前に神話的要素や荘厳な形容辞を積み重ねることは、その国の権威と神聖さを周囲に示す重要な外交的・政治的パフォーマンスでもあったのだ。