放課後の中高生を巻き込み、熱狂の頂点に達していた東亜会館のディスコ文化ですが、その光が強くなればなるほど、落とす影もまた濃くなっていきました。1980年代前半、ビル周辺では未成年者の飲酒・喫煙はもちろん、不良グループ間の縄張り争いや抗争、暴力沙汰、恐喝事件が多発するようになります。
警察白書や当時の社会面報道によると、1980年代初頭の新宿署による補導件数は激増の一途をたどり、深夜のコマ劇場前広場や東亜会館前は「未成年の無法地帯」として社会問題視されました。当時のテレビ特番でも、ディスコから出てきた泥酔状態の中学生が警察官に保護される姿がセンセーショナルに報道され、PTAや行政からの風当たりは限界に達していました。
そして1984年、日本の夜の街を根本から揺るがす決定打が下されます。いわゆる「風営法(風俗営業法)の大改正」です。1985年4月に施行されたこの改正法により、ディスコやクラブに対する規制が大幅に強化されました。
- 深夜営業の原則禁止:午前0時(地域により午前1時)以降の営業が厳格に禁止。
- 年少者の立ち入り制限:18歳未満の深夜立ち入りが厳重に取り締まりの対象に。
- 照度規制の導入:フロアの明るさに関する規定が設けられ、アンダーグラウンドな空間演出が制限。
この法改正により、学校帰りに制服で立ち寄り、夜遅くまでたむろするという東亜会館のビジネスモデルは事実上の壊滅的打撃を受けました。さらにバブル景気の本格化に伴い、夜の主役は六本木の高級ディスコや、後の芝浦「ジュリアナ東京」のような大規模ウォーターフロントディスコへとシフトしていきます。こうして、歌舞伎町の第二東亜会館が築いた中高生主導のディスコカルチャーは、時代の法整備とともに劇的な幕引きを迎えたのです。