元禄2年(1689年)旧暦3月27日、芭蕉は深川の庵を処分し、弟子の河合曾良とともに江戸を発ちました。当時、芭蕉は数え年で46歳。現代の感覚では60代後半から70代に相当する体力的な節目において、全行程およそ600里(約2,400km)に達する東北・北陸の険路へ踏み出す行為は、文字通り生還を期さない「死出の旅」でした。
松尾芭蕉が過酷な旅に出た最大の理由は、平安末期の歌人・西行の500年忌という象徴的な節目を迎えていた点にあります。芭蕉は生涯を通じて西行、能因法師、宗祇といった旅に生きた先達を強く思慕していました。古典和歌に詠まれた「歌枕(名所)」の現在地を己の足で踏みしめ、風雪に晒された古の情景を追体験することこそが、自身の芸術様式である「焦熱の俳諧」を完成させるために不可欠だったのです。
さらに深層の心理には、江戸の俳壇で宗匠として名声と門弟に囲まれ、生活が安定することへの強烈な危機感がありました。定住による自己の形骸化を嫌い、身を削るような境界領域(アウェイの極限状態)に身を投じることでしか得られない「不易流行(時代を超えて変わらない本質と、時代に応じて変化する新味)」の境地を、自らの肉体実験を通して希求したといえます。