ドラフト指名漏れの後、岡田建史は社会人野球を経て、縁あってプロ野球の世界へ飛び込むことになる。ただし、それはドラフト指名を経た華々しい入団ではなく、育成選手としてのスタートだった。担当スカウトの推薦というよりは、社会人時代に対戦したプロのコーチからの強い勧めがあったと言われている。
しかし、プロの壁は厚かった。岡田建史の武器である直球は、プロの舞台ではそれほど突出したものではなく、変化球の精度も一軍レベルには達していなかった。さらに追い打ちをかけたのが、高校時代から抱えていた肩と肘の故障の再発である。
本人の成績に関する詳細な公式データは残っていないが、当時の二軍記録を追った地方紙の報道によると、登板数は年間で一桁台、防御率は4点台後半から5点台を推移していた。華々しいデビューとは程遠く、一軍登板の機会も訪れないまま、数年で戦力外通告を受けた。
戦力外通告後、岡田建史は現役続行を模索したものの、怪我の状態が思わしくなく、最終的に現役引退を決意する。この「怪我と引退」の流れは、多くの元プロ野球選手がたどる道ではあるが、彼の場合はその後の“消息”が極端に掴みにくかった。だからこそ、ネット上では「岡田建史は消えた」「今は何をしているのか分からない」といった噂が飛び交うことになる。