表面化していた「方向性の違い」の核心にあったのは、ジャニー喜多川氏との悲願であった「海外進出」に対する熱量とタイムリミットの感覚でした。平野紫耀は退所発表時のメッセージにおいて、「自分の年齢と向き合ったときに、海外で活動できるグループを目指すのはもう遅いと感じ、目標を失ってしまった」と率直に吐露しています。20代後半に差し掛かり、グローバル市場で勝負するためのリソースとスピード感を求めていた平野らに対し、国内の巨大なファンベースとテレビ露出を中心とする王道アイドル路線を維持したい事務所側との間で、埋めがたい乖離が生じていたのは確かです。
さらに事態を決定づけたのは、経営陣とのコミュニケーションの断絶でした。2024年に刊行されたインタビュー本『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』や週刊誌各社の取材報道によると、平野紫耀らは今後の活動方針を巡って幾度もジュリー元社長との面談を申し入れていたものの、ドタキャンやすれ違いが続き、直接の対話が叶わなかった経緯が明かされています。ジュリー氏側は「面談を拒否したわけではない」と釈明しているものの、多忙を極めるトップマネジメントと、自身のアーティスト生命を懸けて海外進出を直訴した若きトップスターとの間に、修復不可能な不信感が生まれたことは動かしがたい事実といえます。
国内市場での長期的な安定を重視するマネジメント方針と、世界水準のクリエイティブを最短距離で追求したい表現者としての焦燥感。旧ジャニーズ事務所が抱えていた旧態依然とした閉鎖的システムが、彼らの情熱を受け止めきれなかった構造的限界こそが、脱退の引き金を引いた最大の要因でした。