1978年のミス・ユニバース・ジャパン選出以来、萬田久子の生き方は常に時代の一歩先を行っていた。世間の冷ややかな視線や偏見をはね返し、シングルマザーとして息子を育てる決断をした背景には、一人の女性としての揺るぎない覚悟があった。
彼女の歩んできた軌跡は、まるで一編の上質な人物ドキュメンタリーを見ているかのような重厚さに満ちている。女優としての仕事を全力でこなしながら、ハワイと日本を行き来する多忙な日々。撮影現場では一切の疲れを見せず、息子の前では常に強く美しい母であり続けた。その背中を見て育った長男が、やがて親離れを果たしていくプロセスにも、萬田らしい矜持が貫かれていた。