加藤智大の生い立ちを遡ると、幼少期は青森県十和田市、のちに青森市で育ちました。当時の加藤智大の家族構成は、地方銀行に勤務していたサラリーマンの父親、専業主婦の母親、そして3歳年下の弟の4人家族です。中流階級の安定した家庭であり、近隣住民の目には「教育熱心な母親と礼儀正しい兄弟のいる模範的な家庭」と映っていました。
しかし、家庭の内部は母親による徹底した絶対王政が敷かれていました。加藤智大の父親の職業は金融機関勤務であり、朝早くから夜遅くまで仕事に追われ、家庭内の教育方針や育児には一切口を挟まない「事なかれ主義」に終始していました。母親は短大を卒業後、自らの学歴や境遇に強いコンプレックスを抱いていたとされ、その晴らせぬ野心を長男である智大へ異常なまでに注ぎ込むことになります。
母親にとって子どもは自らの有能さを社会に示すためのトロフィーであり、失敗は一切許されませんでした。父親が家庭内の抑止力として機能しなかった結果、家庭内における母親の権力は絶対的なものとなり、兄弟に対する過酷な支配体制が日常化していったのです。