宇多田照實氏の足跡を振り返ると、一般的な日本の音楽プロデューサーとは一線を画す特異なキャリアを持っています。山口県出身の同氏は、若い頃から海外志向が強く、映画制作や音楽ビジネスを学ぶために単身渡米。アメリカのエンタテインメント業界の現場で直接ノウハウを吸収しました。
1980年代には、アメリカを拠点に音楽制作チームを結成。そこで誕生したのが、妻の藤圭子さん、そして幼少期の娘・宇多田ヒカル(当時はHikki名義)を含む家族ユニット「U3」でした。早くから本場のR&Bやポップスの制作環境に娘を浸らせ、スタジオを遊び場のようにして育て上げた教育方針は極めて独創的でした。
1998年、宇多田ヒカルが『Automatic / time will tell』で衝撃の日本デビューを果たした際、照實氏はプロデューサー「Sking U」として楽曲制作からビジュアル戦略、メディア露出のコントロールまでを緻密に指揮。日本の芸能界の慣習に縛られず、テレビ出演を絞り込んでFMラジオを中心にプロモーションを展開する手法は、デビューアルバム『First Love』が日本国内歴代最多の765万枚以上を売り上げる原動力となりました。