SKY-HIこと日高光啓が日本の音楽シーンで歩んできた軌跡は、極めて特異です。10代の頃に大手芸能事務所のレッスン生としてキャリアの基礎を築き、2005年に男女混合パフォーマンスグループ「AAA」のメンバーとしてメジャーデビュー。ドームツアーを成功させ、日本レコード大賞の常連となるトップスターへと登り詰めました。しかし、華やかな表舞台の裏側で、彼の中には常に拭い去れない違和感と危機感が渦巻いていました。
当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「自分がアイドル的な文脈で見られることへの恥ずかしさではなく、音楽そのものの質や個人の尊厳が二次的なものとして扱われるシステムへの恐怖」という告白は、彼の原体験を端的に物語っています。昼間はポップスグループのメンバーとして完璧な笑顔を求められ、深夜はクラブのサイファーに飛び込んでアンダーグラウンドのラッパーたちとフリースタイルバトルを繰り広げる日々。この二面生活の中で彼が直面したのは、メインストリームカルチャーにおける「消費の速さ」と「クリエイティビティの搾取」でした。
自身が作詞したラップパートがグループの楽曲に採用される一方で、業界全体を見渡せば、若い才能が事務所の意向に従うだけの操り人形となり、使い捨てられていく現実が存在していました。この日高光啓のアドルの時代における葛藤こそが、のちに「才能を殺さないために、才能が才能のままで生きられる場所を作る」というBMSGのスローガンへと昇華していくことになります。