歴史の表舞台にその名を刻む備中妹尾氏は、古代から中世への移行期において、地方豪族から中央権力と結びつく軍事貴族へと脱皮を遂げた典型的な武士団です。妹尾氏の由来を紐解くと、地名発祥の出自であることが判明しています。備中国都宇郡(つうぐん)妹尾郷(現在の岡山県岡山市南区妹尾から都窪郡早島町周辺)の肥沃な土地を本拠とし、在地領主として勢力を伸ばしました。
妹尾氏ルーツの核心に位置するのが、平治の乱から治承・寿永の乱にかけて平家一門を支え続けた名将・妹尾兼康(せのお かねやす / 妹尾太郎兼康)です。兼康は単なる地方武士にとどまらず、平清盛から厚い信任を受け、平家一族の家人筆頭格として畿内と山陽道を往来しました。朝廷や平家政権の政策を忠実に実行しつつ、自らの所領基盤を盤石にしていった過程は、当時の地方武士が中央と結びついて力を蓄える典型例として日本中世史でも高く評価されています。
学術調査や自治体史の記録によれば、妹尾氏は藤原氏の流れを汲むとも、あるいは古代の在地豪族の後裔とも伝えられ、平家の譜代家人として組み込まれる中で「平姓妹尾氏」を称する例も見られます。この重層的な妹尾氏歴史の背景には、干潟や湿地帯が広がっていた児島湾沿岸部を独自の土木技術で切り開いていった、不屈の開拓精神が存在していました。