真田家の家紋「六文銭」の真相|結び雁金との使い分けと歴史の真実

真田家の家紋「六文銭」の真相|結び雁金との使い分けと歴史の真実

真田家の家紋「六文銭」の真相|結び雁金との使い分けと歴史の真実の詳細解説をご紹介します。最新トレンドが満載です。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを前に、真田家は「犬伏の別れ」と呼ばれる重大な決断を下します。父・昌幸と弟・信繁は豊臣方(西軍)へ、兄・信之は徳川方(東軍)へと分かれ、どちらが勝っても一族の血脈が絶えないようリスク分散を図りました。

大坂の陣で豊臣方が敗れ信繁が戦死した後、徳川の世で大名として生き残った信之は、信濃松代藩10万石の初代藩主となります。ここで問題となったのが「六文銭」の扱いでした。大坂の陣で徳川軍を最も苦しめた「逆賊・真田幸村」の象徴である六文銭を、幕府の公の場で堂々と使い続けることは政治的に極めて危険な行為だったのです。

そこで信之は、平時の表紋として「結び雁金」を前面に押し出しました。雁(かり)は群れをなして飛ぶことから「一族の和合や結束」を象徴し、手紙を運ぶ鳥として「良報」を運ぶ縁起の良い鳥とされていました。死を連想させる戦時紋の六文銭を秘匿し、平和と協調を象徴する結び雁金を表に立てることで、真田家は徳川幕閣の警戒を解き、明治維新まで続く名門大名としての地位を確立したのです。

中島 亮太
著者

中島 亮太

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