和田アキ子の若かりし頃を語る上で欠かせないのが、大阪・ミナミ界隈で名を馳せた「不良番長」伝説です。バラエティ番組では笑い話として語られる数々の武勇伝ですが、その大半は単なる演出ではなく、当時の実体験に基づいています。
柔道場を開いていた父親のもとで育ち、幼少期から厳しい規律と武道の基礎を叩き込まれていた彼女は、中学生時代にはすでに170cmを超える体格と抜群の運動神経を誇っていました。当時、大阪ミナミの繁華街で不良グループのリーダー格となり、「道頓堀の不良たちを束ねていた」「喧嘩で負けたことがない」といった数々の逸話が生まれることになります。
しかし、彼女が単なる非行少女で終わらなかったのは、その奥底に音楽への凄まじい情熱を秘めていたからです。10代半ばからジャズ喫茶やゴーゴークラブでマイクを握り、洋楽のR&Bナンバーを圧巻の声量で歌い上げていました。その圧倒的なステージを目撃したホリプロダクション(現・ホリプロ)の創業者である堀威夫氏が、「和製レイ・チャールズを作れる」と確信して自らスカウトに踏み切ったエピソードは、芸能界史に残る有名な転換点です。