原敬の出身地と生い立ちの真相|名門武士が平民宰相となった理由

原敬の出身地と生い立ちの真相|名門武士が平民宰相となった理由

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原敬の人間形成を語る上で欠かせないのが、出身地・盛岡の風土と文化的な土壌です。現在、盛岡市本宮には原敬記念館生家が整備されており、原敬が少年時代を過ごした武家屋敷が当時の姿のまま保存・一般公開されています。

現地を訪れると、萱葺き屋根の質素な母屋とともに、手入れの行き届いた庭園が広がり、過度な贅沢を排した盛岡武士の気骨を肌で感じ取ることができます。館内には、暗殺された当日に着用していた血痕の残るモーニングコートや短刀の傷跡が生々しい肌着、そして生涯を通じて克明に書き残された『原敬日記』の実物が収蔵展示されています。

岩手県立盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)の系譜に目を向けると、盛岡という地域がいかに傑出した知性を輩出したかが浮き彫りになります。盛岡中学出身著名人には、国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造、海軍大将から首相となった米内光政、文学史に不滅の足跡を刻んだ詩人の宮沢賢治や石川啄木、言語学者の金田一京助らが名を連ねます。原自身は盛岡中学の創設より前の世代ですが、旧藩校・作人館で培われた「質実剛健」「負けじ魂」の精神は、同郷の後進たちに確実に受け継がれました。

原敬家系図と子孫の歩みについても、特筆すべき事実があります。原敬には実子がいなかったため、妻・浅子の姪の連れ子であった原貢(みつぐ)を養子として迎えました。貢は長じて内務官僚などを務め、原家の血脈と記録の保全に尽力しました。原敬は自らの死に際し、「墓碑にはただ『原敬の墓』とだけ刻み、生前の肩書や爵位、勲等は一切記すな」という厳格な遺言を遺しており、その簡潔な墓所は現在も盛岡市の大慈寺で静かに佇んでいます。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。