今日でこそ華麗なセレブの代名詞として知られるデヴィ夫人ですが、その生い立ちは決して恵まれたものではありませんでした。1940年、東京市麻布区(現・港区西麻布)の大工の家庭に生まれ、本名は根本七保子。戦後の混乱期に極度の貧困を経験し、中学卒業後は定時制高校に通いながら、千代田生命保険に勤務する苦闘の青春時代を過ごしました。
家族を養うために高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めた彼女は、その彫刻のような美貌と知性、高い語学センスによって社交界関係者の間で頭角を現します。運命の転機が訪れたのは1959年、19歳のときでした。来日中だったインドネシアの初代大統領、スカルノ大統領と都内の帝国ホテルで出逢いを果たします。大統領に見初められた彼女は同年、単身ジャカルタへと渡航しました。
異国の地で激しい宮廷内の権力闘争や民族的摩擦に晒されながらも、イスラム教へ改宗し、1962年に正式婚姻を結びます。授けられた名は「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(宝石の聖なる女神)」。大統領から「東洋の真珠」と称えられ、インドネシア第3夫人としての華やかな立場を確立した瞬間でした。当時の自著や特番インタビューでも「死を覚悟して海を渡った」と述懐している通り、それは単なるロマンスではなく、自らの人生を国家の運命に賭けた冷徹な覚悟の選択でした。