ネットの検索窓に「高嶋弘之 高島忠夫」と入力すると、関連ワードとして「確執」「不仲」といった不穏な単語が浮上します。しかし、報道関係者の取材や当事者の回想録を検証すると、骨肉の争いのような確執は存在せず、互いの立場を守るための「徹底した配慮」が世間に誤解されたものであることが判明します。
確執説が取り沙汰される契機となった最大の出来事は、1998年以降に忠夫さんが重度のうつ病を患った時期の対応にありました。忠夫さんは長年の過密スケジュールと心労から心身のバランスを崩し、表舞台から姿を消して長期の自宅療養に入ります。その際、妻の寿美花代さんは医師の厳格な指導のもと、忠夫さんに少しでも精神的負荷をかけないよう、外部からの連絡や面会を厳しく制限する隔離態勢を敷きました。
この闘病中、神戸にいた実母が他界するという悲しい出来事が起きます。しかし、母親の死という強烈な衝撃を与えれば忠夫さんの病状が致命的に悪化しかねないと判断した寿美花代さんや家族は、苦渋の決断として「忠夫さん本人には母親の死を伏せる」という措置を取りました。弘之氏ら神戸の親族側もこの事情を痛切に理解し、兄の生命と回復を最優先に考え、余計な刺激を与えないよう一定の距離を保ち続けたのです。
この極めて繊細な配慮と面会制限が、一部の週刊誌によって「兄弟の絶縁」「親族間の断絶」としてドラマチックに書き立てられたことが、確執の噂の根本原因でした。弘之氏は忠夫さんが2019年6月に88歳で旅立った際、メディアの取材に対して兄の偉大な足跡への敬意と、静かに見送った深い哀悼の意を表明しています。兄弟間に憎しみはなく、そこにあったのは過酷な病魔から家族を守るための痛切な判断でした。