18世紀後半から19世紀初頭の文化・文政期、江戸の町は独身男性の比率が極端に高い「男の街」でした。参勤交代で単身赴任してきた武士や、地方から出稼ぎに来た職人や町人が長屋にひしめき合っており、自炊をする設備も時間もない彼らに向けて路上に無数の「屋台(立ち食いスタンド)」が出現しました。こうして誕生したのが、後に「江戸の四大名物食」と称される握り寿司、天ぷら、蕎麦、うなぎの蒲焼です。
なかでも劇的なイノベーションを遂げたのが「握り寿司」でした。それまでの寿司といえば、魚と米を発酵させるのに数カ月から数年を要する「熟れ寿司(なれずし)」や箱寿司が主流でした。しかし文政年間(1818〜1830年頃)、「与兵衛寿司」の華屋与兵衛らが、炊いた飯に酢と塩を素早く混ぜ、東京湾(江戸前)で獲れた新鮮な魚介をその場で握って提供するスタイルを考案しました。当時の握り寿司は現在のおにぎりほどの巨大なサイズで、忙しい職人が屋台の暖簾をくぐり、立ったまま2〜3個をつまんで手鼻をかんで仕事に戻るという、まさに元祖ファストフードでした。
同じく「江戸前天ぷら」も、屋台の手軽なスナックとして絶大な人気を博しました。東京湾の芝エビ、穴子、ハゼなどを胡麻油でカラリと揚げ、串に刺して立ち食いスタイルで提供されていました。当時、長屋の密集地帯では火災予防のために油を使った調理が厳しく制限されていたため、油火災のリスクを避けて外で食べる天ぷらは、庶民にとって手軽なご馳走だったのです。
これら江戸前料理の爆発的進化の陰には、「調味料の革命」が存在しました。それまで上方(関西)から運ばれていた高級な「下り醤油(薄口醤油)」に対し、野田や銚子などの関東近郊で小麦を等量配合した香りの強い「濃口醤油」の大量生産が成功しました。この濃口醤油にみりんや砂糖を合わせた濃厚な「タレ」や「蕎麦つゆ」が完成したことで、魚の生臭さを消し、濃厚な味付けを好む江戸っ子の舌を完全に捉えたのです。