日本三景が公に定義された起源は、江戸時代初期の1643年(寛永20年)にまで遡ります。江戸幕府に仕えた著名な儒学者・林春斎(はやししゅんさい・林鵞峰)が、26歳の若さで著した全20巻の地誌『日本国事跡考(にほんこくじせきこう)』の一節がその発端です。
春斎はその著書の中で、日本全国の名所旧跡を巡り歩いた見聞をもとに、次のように書き記しました。
「松島・丹後天橋立・安芸厳島、三処を卓越せる三景となす」
この記述が、日本三景という概念の公式な初出とされています。当時、日本には富士山をはじめとする雄大な山岳や名瀑が数多く存在していたにもかかわらず、なぜこの3箇所だけが抜きん出た「三景」として選ばれたのでしょうか。歴史地理学や景観論の観点から検証すると、そこには3つの明確な共通項と時代的背景が存在していました。
第1の理由は、「海と島、そして松が織りなす白砂青松の造形美」です。3箇所とも内海や湾内に位置し、波静かな水面に無数の島々や砂嘴(さし)、青々とした松林が映えるという、日本人の自然美観の根底にある「水と樹木の対比」を完璧に体現しています。
第2の理由は、「古来の神道・仏教信仰との結びつき」です。松島は霊場・雄島や慈覚大師円仁が開山した瑞巌寺、天橋立は神話に登場する「天への架け橋」としての伝承、宮島は島全体が御神体とされる厳島信仰など、いずれも単なる自然景観にとどまらず、人々の祈りの対象としての精神性を宿していました。
第3の理由は、「江戸時代の交通網整備と旅行ブーム」です。五街道や西廻り航路・北前船の寄港地網が発達したことで、知識人や町人の間で名所巡りが大流行しました。春斎の記述は貝原益軒などの文人たちによって引用・拡散され、民衆の間で「一生に一度は訪れたい三大絶景」としての地位を確立していったのです。